日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

日本無線株式会社

日本無線株式会社
日本無線社史 55年の歩み(昭和46年6月発行)からの抜粋
第2章 陸軍電子機器 
第1節 概要
陸軍の電子機器の歴史は、我国無線史の重要な一翼をなすものであった。
当社も創立以来常に積極的に協力を続け、貢献するところ大であった。
その成果がやがて、当社技術の基礎となった。
島嶼は、無線機の部品を納入、火花式無線電信機を生産することから始めた。
やがて第一次世界大戦後の真空管式時代を迎え、陸軍は外国の技術を導入し、フランス製の無線機やイギリスのマルコーニ社の航空機用無線機、或はドイツのテレフンケン社の方向探知機を取り入れたが、当社ではこの国産化を担当し、マルコーニ社型の航空機用無線機、テレフンケン型の方向探知機を生産し、引き続き15年式、87式などの機器を生産した。
昭和年代に入り陸軍の計画は拡大し、機器の純国産化と小型化の要望が高まり、昭和6年(1931)頃から着々と整備された。
当社もこれに応えて、新製品の開発と生産増強に力を尽くした。
やがて、94式、96式その他の無線機を開発し、生産した。
主要な製品は諜報用高速度受信機、車載用高性能受信機、94式2号乙無線機、94式3号情報隊用無線機、94式飛2号無線機、94式対空2号無線機、超短波を用いた96式7号無線機、駄載用方向探知機、携帯用方向探知機、ホーミング用航空機用方向探知機などであった。
13年、三鷹工場を新設し、生産力は飛躍的に向上した。
わけても、冶工具工場や新しい絶縁物処理方法の開発による処理工場の新設は、新製品の開発と生産に大きく寄与した。
更に、大増産のため、長野工場、諏訪工場などの新設が行われ、終戦までの間、各種無線機を始め、航法機器、レーダなどの研究、開発、生産に全力をあげた。
第2節
94式2号乙無線機
送信機に関しては、昭和9年(1934)から終戦迄に千数百台を生産し、最も安定した機種として認められていた。
出力50W、周波数950~6675Khz(自励及び水晶制御)で駄載式であり、特に混信分離用の周波数微小調整装置をもっていた。

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94式3号情報隊用無線機
駄載式で出力10Wの小型送受信機で、周波数は400~5700Khz(自励及び水晶制御)、取扱が簡単であり、多量に生産された。

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94式飛2号無線機
航空機搭載用で性能の安定した機器で、出力は電信20W、電話10W、周波数1500~7500Khzで、多量に生産された。

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94式対空2号無線機
対航空機用の無線機で、性能が安定した機器で、出力150~200W、送信周波数950~7500Khzで、長く生産が続けられた。
諜報用高速度受信機

固定局用の大型高性能受信機で、当社が開発した高速度印字機が付加され、電信符号を印字するものであった。
地2号無線機

94式対空2号無線機の新形として開発されたものであった。
出力は電信180W、電話40W、周波数2500~1万Khz、小型化されたものであった。
飛1号無線機

遠距離用で、出力は電信100W、電話20W、変調電信30W、周波数2500~1万Khzで、周波数転換が遠隔操作でき、極めて小型化された斬新な構造がその特徴であった。
 
その他
その他、特に生産の面で寄与したものは、地上用の機器では5号、6号の無線機、航空機用の機器では飛3号、飛5号無線機などであった。
 
第3節 超短波無線機
96式7号無線機
昭和12年(1937)に完成した上陸用舟艇で用いる無線機で、波長1m、出力100W、パラボラアンテナによる指向性通信を行うもので、エーコン管が採用された。
携帯型として斬新な設計であり、約800台が生産された。
 
99式飛4号無線機
航空機の編隊用に採用されたもので、水晶制御式、3周波切換可能、出力40Wで、昭和16年に完成し、千数百台を生産した。
 
車輛無線機丙
超短波を戦車部隊内の通信に用いる目的で、昭和16年研究に着手し、翌年完成された。
周波数20~30Mhz、出力1Wであった。
同機には、当社の発明になるQの高い回路を使用し、これを用いた自励発振器によって、水晶を用いた場合と同等の周波数安定が得られることで注目を集めた。
 
第4節 航法機器
方向探知機
方向探知機はテレフンケン社のE-273型の国産化に始まり、駄載用方向探知機、携帯用方向探知機などを先ず生産し、続いて、昭和12年(1937)に航空機用のホーミングを目的とする飛1号方向探知機を完成した。
周波数は550~1200Khz、生産台数も極めて多く、終戦まで長く生産が続けられた。この方向探知機は、やはりテレフンケン社型を国産化したもので、一般用途としての方向探知機操作が可能であるうえに、メータ又は可聴音によってホーミングができるものであった。
同機には、当時としては進歩した部品が多く使用されており、当社では先ずこれら部品の国産化から着手した。
これは、飛1号方向探知機のみならず、一般通信機の性能向上にも大いに役立った。
これらには、高周波ケーブル、ダストコア、ポリスチロールなどの新しい絶縁物その他があった。
又、同機を改良して、空中線を小型にした飛2号方向探知機も続いて生産した。

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盲目着陸装置
盲目着陸装置としては、当時、ローレンツ社型、テレフンケン社型などの製品が世に出たばかりであった。
当社は、テレフンケン社の技術を導入して昭和16年に研究を完了、生産に移行した。
これが現在、計器着陸装置として使用されているILS装置の初期の方式であった。
同装置にも、方向探知機と同様に新しい部品が数多く使われており、その国産化には非常な苦心を要した。
例えば、地上設備の送信機用電源に使用されているセレン整流器は、電元工業株式会社の努力によって優秀な製品を得る事ができ、高周波ケーブルは藤倉電線株式会社の研究によって、又、特殊絶縁物は日本ベータライト株式会社によって、何れも完成をみたもので、盲目着陸装置の国産化は、これらの共同研究によって初めて完成したものであった。
機上機器約1000台、地上機器20数台を生産した。
盲目着陸装置諸元
主送信機(ラジオ ビーコン装置)
出力500W、水晶制御方式、波長9mで、着陸曲線を作り、飛行機を誘導する。
着陸信号送信機(マーカ ビーコン装置)
出力7W、水晶制御方式、波長7.9m、700Hz変調(第1マーカ)、1700Hz(第2マーカ)で、飛行場からの定位置を報知する。
受信機
ラジオビーコン受信機とマーカビーコン受信機とからなり、信号を計器及び可聴音により示すもの。
電波高度計とロラン受信機
前者に対しては、高高度用を研究し、純国産技術により完成し、生産を行った。
更に、終戦に近く、ロラン受信機の研究に着手したが、これは試作機の完成をみるに留まった。
 
第5節 レーダ
対潜用電波警戒機 タセ2
マグネトロンを用い、波長15cm、出力1KWで、探知能力は大型艦船30Km、対潜浮上潜水艦15Km、潜望鏡2Kmであった。
昭和18年(1943)に研究を完成し、更に陸上用に転用することが研究された。
 
航空機用電波警戒機 タキ1
周波数150Mhz、出力10KW、警戒距離は大型艦船100Km、浮上潜水艦20Kmという性能で、昭和18年に完成し、終戦に至る迄多数生産された。
 
ウルツブルグ型電波標定機 タチ24
日独技術協定の下で、ドイツの対空射撃レーダウルツブルグの国産化が計画され、ドイツ政府から派遣されたテレフンケン社技術者ハインリッヒフォーデルス氏の協力により、官民一体となって努力を重ねたものである。
その性能は波長50cm、出力10KW、対飛標定距離40Kmで、漸く試作機2台の製作を終、実用段階に入ったところで終戦を迎えた。
 
その他
昭和15年に、ドップラー式(波長20cm)の地上用電波警戒機を完成した。
又、18年、航空機用電波妨害機(タキ8)を完成し、生産を行った。
尚、要地用電波警戒機の生産も担当した。
 
第6節 その他の機器
鉄条網通電探知用の高圧探知機を、昭和14年(1939)頃に大量生産した。
この他、研究のみで終わった製品の中で特徴のあるものは、9年の周波数変調利用によるFM-AMによる二重通信方式、バイブレーションリードを用いた通信方式、小型無線機のボーダス化などがあった。
中でも特筆すべきものは、18年に、東北大学の永井教授と植村助教授の指導を得て、時分割多重通信方式によって行われた超短波による陸軍用の多重無線通信装置の研究であった。
この実験は仙台、石巻間で行われ、当社の多重無線電話開発への第一歩となった。
 
第3章 海軍電子機器 送信機
昭和の初期迄は、主として機械部品の製作やテレフンケン社から輸入した無線機の整備作業が主であったが、その中にあっても大正9年(1920)の当社製の1.5KVA瞬滅火花式の送信機を納入したことは特筆されるべき快挙であった。
その後、海軍の真空管式による純国産化研究に呼応した、各種の長中波及び短波の送信機を生産するようになった。
主な製品は、92式3号、92式4号各長波送信機を始め、短波の95式短3号、95式短4号、短5号、更に97式、99式の各機種であった。

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短波送信機には水晶制御兼自励発振式が用いられ、その原振器の周波数安定化のための研究と工夫が重ねられた。

その原振器用の可変蓄電器により、短波送信機の周波数に関する温度特性が+20℃~+50℃に於て1000分の1以内に保たれた。
長中波送信機には、当社が製品化した高周波同調回路の大電流用マイカコンデンサーが採用され、極めて高性能で良好な結果を得る事ができた。
又、電離層観測用送信機や、SSBの技術を利用した短波の電信5重通信装置なども受注するようになった。

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昭和14年には、テレフンケン社から基礎技術を導入して、当社で完成した数種類の送信用5極管が全面的に採用され、送信機の小型高性能化に寄与した。
15年に、潜水艦用として斬新な次の2機種が開発された。
それは、99式特3号送信機と99式特4号送信機である。
何れも短波送信機であり、特3号は出力1KWで、短波の伝搬特性を活用するため、周波数切替を迅速に行う必要があり、周波数3~18Mhzの間の任意の3波を予め船艇しておき、5秒以内に切換える方式をとった。
この切換方式の研究には非常な苦心を払った。
その開発された周波数切換器は、戦後に当社の国内船用及び輸出船用無線機に用いられた周波数選択切換装置の基本となり好評を博した。
特4号は出力500Wで近中遠距離にある3艦にいっせいに指令を伝えるための送信機で、3周波を同時に発射する必要上、発振部、励振部、電鍵などは共通で、電力増幅部のみ3個並列となっていた。
而もこの周波数は、互いに高調波関係にあって、夫々増幅され、出力回路に於て再び混合され、整合器を経て1本の空中線から送信するというものであった。
特3号、特4号は共に大型送信機であったので、潜水艦に装備するには狭いマンホールから分割搬入して再組立ての必要があり、設計に苦心した。
又、特4号にはアルミニウム合金鋳物が使用され、塗色にも従来の黒から明るい空色が初めて使用された。
 
第3章 海軍電子機器 受信機
大正時代の海軍の受信機は海軍造兵廠で研究開発し生産されており、当社はその3極真空管、部品などを納入していた。
以後、幾多改良を経て、昭和7年頃には、5極真空管も用いられるようになり、短波受信機もスーパーヘテロダイン方式に変わり、回路の進歩と相俟って性能が著しく向上した。
こうして生まれたのが92式特受信機であり、製造、取扱、補修など凡て亙り安定した高性能機であり、当社は長くこの生産を担当した。
この機種は、長波帯をオートダイン方式、短波帯をスーパーヘテロダイン方式としたもので、電源は艦内電源及び2次電池の兼用とするなどの改良が加えられており、大量生産、納入した機種の一つであった。

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第3章 海軍電子機器 方位測定機
大正末期に於て、海軍は方位測定機に当時優秀な性能を誇っていたテレフンケン社の技術を導入することを決定した。
これらには、E-276A型が主体となったが、その後、改良が続けられ、当社にも昭和9年にはテレフンケン社型のE-358N型及びE-374N型の2機種の国産化が命ぜられた。
これらは何れも制式兵器として採用され、以後、潜水艦用を始め各種艦船にも装備されることになった。
この中、潜水艦用のものは空中線が艦体外の水中に突出するため、種々の困難な問題があった。
枠型空中線の昇降装置、潜航の際にかかる強大な水圧抵抗、渦流による振動抵抗、回転軸と軸受間の耐水圧性と円滑回転の矛盾する条件などを解決する必要があり、このためには、設計や工作上、非常な苦心が払われた。
このような研究によって培われた技術は、現在潜水艦のレーダーマストの昇降装置などにも活かされている。
 
第3章 海軍電子機器 航空機用無線機
海軍造兵廠時代
この時代は業者が部品のみを納入していた頃であり、航空機用無線機も同様であった。
当社では、大正15年(1926)に筐体、部品を納入することから開始した。
この頃の代表的製品には、送信機は波長600~1500m、出力150W、受信機は再生検波、低周波2段増幅の15式無線電信機があった。
海軍技術研究所時代
漸く完成品の形で納入するようになった昭和4年、2座または3座機用として、長波の出力75W電話併用機89式空1号無線電信機を納入したのを始め、同出力の89式空2号無線電信機を受注、納入した。
受信機は、前者は高周波2段付5球式、後者は高周波1段付8球式であった。
両機種とも百数十台を納入し、7年に勃発した上海事変に於て、その性能を遺憾なく発揮した。
8年には長波の大型機で、送信機は出力150W、電話併用、受信機は高周波1段付7球式の93式空2号電信機を受注し、納入した。
翌9年には2座又は3座機用として送信出力75W、受信機は高周波2段5球式の長波電信機(電話併用)94式空1号無線電信機を、続いて短波を加え、送信機は水晶制御兼自励式で送信出力は短波75W、長波50W、受信機は高周波1段8球式の94式空2号無線電信機を夫々開発した。
又、11年には、戦闘機用の短波電話送受信機の試作を行ったがこの機種は遠隔制御方式を採用し、又、水晶制御発振と自励発振両用であり、切換によっても同じ周波数が発射されるよう、多くの新機軸が採りいれられた。
このように各種の機種の生産を行い、海軍の航空機用無線機に対する当社の基礎は次第に固まり、やがて通算1000台という納入実績をあげた。
 
海軍航空廠時代の無線機
昭和9年から12年の間に、海軍技術研究所の航空機用無線機に関する研究開発機関は、新発足した横須賀海軍航空廠に移管され、海軍の航空機用無線機の研究開発は一段と活発化した。
この事態に対応して当社でも開発部門の充実を図り、11年には2座機用で長波と短波を兼備した入力100Wの無線電信電話機の試作が行われ、当社は真さ合格した。
同機は96式空2号無線電信機として以後数千台を量産した。
又、3座機用長波短波兼備で、入力300W、受信機には全部金属管を用いた斬新な設計の1式空3号無線電信機、更には、これに中波帯を付加した2式空3号無線電信機を開発した。
これには当社が国産化したテレフンケン社型のFM2A05A万能菅が使用された。
これらの無線機の外に、13年に、多座機用で、航空機の編隊内の連絡、指令などに使用する98式空4号隊内無線電話機を完成した。
周波数は超短波帯を使用し、送信出力40W、受信機には凡て金属真空管を用いたもので、直ちに制式兵器に採用され、終戦に至る迄大量に納入した。
これに続いて完成したものに、送信出力10Wの1式空3号隊内無線電話機があり、同じく終戦迄生産が続けられた。

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海軍航空廠時代の方位測定機
当社は早くから航空機用方位測定機の研究を続けていた。
昭和14年、先ずテレフンケン社製の航空機用帰投用方位測定機の国産化を図った。
特に苦心した点は、真空管、圧粉鉄心、スチロール、高周波ケーブルなどの新しい部品、材料の開発を先行しなければならないことであった。
研究には2年を要し、完成後直ちに制式兵器として採用され、零式無線帰投用方位測定機の名で終戦迄に約2000台が納入された。
この外、空中線にフェライトを用いた極めて小型のクルシー式帰投用方位測定機2種類の試作品も完成したが、何れも生産する迄には至らなかった。
 
第3章 海軍電子機器 レーダ
戦争の激化と共にレーダの研究開発は活発に行われた。
中でも、マイクロ波利用のレーダの研究と生産は重要な課題であった。
対水上見張用2号電波探信儀2型(22号)、航空機用PPI方式による5号電波探信儀1型(51号)、艦船用射撃レーダ3号電波探信儀などが主要製品であり、今日のレーダ技術の基礎となった。
超短波利用のレーダには、昭和17年に開発したH-6電波探知機がある。
これは航空機用の索敵電波探信儀で、同年8月に完成し、制式兵器として採用された。
波長は2m、出力3KWで、空中線は主として八木空中線が使用された。
送信機には当社製のU233送信菅2本を使用し、受信機にはエーコン管を用い、複合菅に当社製FM2A05Aを使用した。
同機種は2000台近くを生産納入した。
戦争末期になり、空襲が激化してくると、敵機を迎撃するために、特殊電波兵器玉3号などが開発された。
これらは戦闘機に装備して射撃距離を測定し、自動発射装置を連動するものであって、20年に完成したものの、終戦に伴い実用機の生産には至らなかった。

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日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行からの抜粋
C日本無線株式会社
イ生産概況
太平洋戦争突入以後の重点はレーダ開発と生産にあった。
なかでもマイクロ波レーダの開拓に力をつくしたが、その他の電波兵器の開発もあわせ進め、生産の面では、これらのほか軍用および商船用の通信機、方位測定機をはじめこれらに用いる送信用5極管、受信管、超短波管、極超短波管、ゲッタ、さらに周波計、信号発生器などの測定器及びマイカコンデンサ、紙コンデンサ、磁器コンデンサ、継電器、変圧器などの各種の部品であった。
主要製品については次のとおりである。
陸軍関係ではレーダについては航空機用の超短波警戒機タキ1を約600台、対潜用のマイクロ波警戒機約60台、ウルツブルグ型移動式電波標定機タチ24の緊急生産手配50台、および要地用超短波警戒機(ヨ号乙50K型)10数台であり、その他の電波兵器では超短波盲目着陸装置の送信機約25組と受信機約700台、航空機用の電波妨害機数台があげられる。
また通信機その他では94式2号乙無線機の送信機約600台、96式7号無線機約800台、車輛無線機丙約700台、飛1号無線機約1,200台、同遠距離用無線機数十台、99式飛4号無線機約1,600台、飛1号方向探知機約1,500台、高速度記録装置約50台である。
海軍関係では、レーダについては航空機用の超短波の哨戒索敵用3式空6号電波探信儀約2,000台、マイクロ波の艦船用対水上見張用2号電波探信儀2型を約300台、同マイクロ波対水上射撃用3号電波探信儀2型を約60台生産した。
航空機用の通信機及び方位測定機では、96式空2号無線電信機約1,000台、98式空4号隊内無線電話機約1,500台、1式空3号無線電信機約300台、1式空3号隊内無線電話機約3,000台、2式空3号無線電信機約1,800台、新型空3号無線電信機約100台、零式空4号無線帰投方位測定機約2,500台と同新形無線帰投方位測定機約500台であり、艦船用の通信機では92式特受信機約400台、92式4号送信機数台、95式短3号送信機数十台、95式短4号送信機約200台、95式短5号送信機約10台、97式短6号送信機約20台、その他99式特3号と4号送信機などであり、艦船用の方位測定機では潜水艦用を合わせ約450台であった。
真空管関係ではレーダ用の磁電管、3極管をはじめ通信機用の各種真空管を生産した。
主要製品は磁電管M314、M312、M60、MS43、MP15、MS30、ML15、超短波3極管U233ほか、送信用5極管P256、P234、P232、P220、P215、P210、P150、P130、P110、受信管NF2、NF6、RE3、FM2A05A、および定電圧放電管、安定抵抗菅、センダイ放電管であった。

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商船用の無線機では戦時標準の1号、2号、3号、5号の各型とE-358N型方位測定機を多く生産した。
ウ主要研究と開発製品
昭和16年末に陸軍の盲目着陸装置が完成した。
これはテレフンケン社型のもので、ラジオビーコン装置は波長9m、空中線電力500W、前方および主信号用の着陸信号送信機は波長7.9m、空中線電力7Wで、いずれも無人機で中央指令装置により自動的に制御するもので、受信機の表示は計器とネオン菅によるほか受話器による聴音方式である。
同年末に海軍の対水上見張用2号電波探信儀2型の試作を完成した。
これはわが国初のマイクロ波レーダで波長10cm、送信機尖頭出力6.6KWの磁電管M312と、受信機には磁電管M60を用いた。
翌年実戦で艦船の識別にマイクロ波レーダの効果が顕著であることを実証することができた。
探知能力は戦艦に対し35Kmである。
次いで19年には空中線の耐水圧問題を解決して潜水艦用のマイクロ波レーダを完成した。
昭和17年には海軍の航空機用の超短波レーダ、3式空6号電波探信儀を完成した。
波長2m、送信用に3極管U233を用い、尖頭出力3KW、最大有効距離対船団で100Kmであり、のちに小型機用の電波探信儀(N-6)も開発した。
同年陸軍のマイクロ波電波警戒機の試作が進められ、翌年には船舶用から陸上用の機種に移行した。
波長15cm、送信機尖頭出力1KW、警戒距離対浮上潜水艦15Km、対潜望鏡2Kmを目標とした。
送信用磁電管にはMP15、受信用には磁電管ML15、またはBK管のBK3が用いられた。

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同年には陸軍の戦車部隊内の電話通信用の車両無線機丙を完成した。
周波数20~30Mc、送信機出力1Wで水晶発信器に代わり周波数の安定化を施した特殊なハイキュー回路を用いた自励発振器により、水晶発振器とほぼ同等の安定度を得た。
受信機にはスーパヘテロダイン方式を採用した。
陸軍の技術有効賞を受賞した。
同年に次の2機種の信号発生器を完成した。
無測101型は周波数範囲50Kc~250Mc、出力1V、0.1V~1μV、振幅変調度0~80%、無測103型は周波数範囲15~210Mc、出力0.1V~0.5μV、振幅変調度0~80%。
昭和18年に陸軍の航空機用の超短波警戒機タキ1を完成した。
波長2m、尖頭出力10KW、警戒距離対大型艦船で100Kmである。
同年までにマイクロ波レーダ用の磁電管の研究開発も大いに進展した。
これらは送信用磁電管のキャビティアノードの精密加工や無酸素銅の生産、碍子と金属の間の封止の問題、マイクロ波に耐えるガラスの開発などの解決によるもので、M312、M314その他を多量に生産したほか、S60波長5cm、尖頭出力80KW、S1波長4.6cm、尖頭出力180KW、S66波長2.2cm、尖頭出力180KWその他のより波長の短い高出力のものも完成した。
さらに海軍の強力マイクロ波発生用磁電管の研究に協力し、終戦時までにA型波長5cm、連続出力20KW、B型は長10cm、連続出力10KW、C型は長6~10cm、連続出力100KW、D型波長10cm、連続出力500KWなどの高出力磁電管の新分野を開拓した。
昭和19年に海軍のマイクロ波による艦船用対水上射撃用レーダ3号電波探信儀2型を完成した。
波長10cm、尖頭出力2KW、最大有効距離対戦艦で30~35Km、測角精度0.25°、測距精度250mである。
昭和20年に陸軍の対航空機射撃用レーダ、ウルツブルグ型地上用マイクロ波移動式電波標定機タチ24をようやく完成した。
これはテレフンケン社型の模作で、同社の技師が来日して指導にあたったものであった。
波長50cm、尖頭出力10KW、対飛標定距離40Km、測距精度±40m、測角精度と測高精度はそれぞれ1/8°である。
同年海軍の航空機用の超短波による射撃用電波探信儀玉3号を完成した。
波長2m、尖頭出力3KW、最大有効距離は対航空機で4Km、測距精度5°、測角精度5°である。
同年海軍のマイクロ波によるPPI方式のレーダ電波暗視機5号電波探信儀1型を完成した。
波長10cm、尖頭出力6KW、最大有効距離20Kmである。
タキ-1 制式名称;電波警戒機一型(飛行機用)

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潜水艦用2号電波探信儀2型改3

 

 
 
参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
日本無線社史 55年の歩み 昭和46年6月発行
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