日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

東洋通信機株式会社

東洋通信機株式会社
日本無線史第11巻からの抜粋
東洋無線電信電話株式会社及び明昭電機株式会社の両姉妹会社共、昭和12、3年前後して資本金をいずれも200万円に増額したが、両会社共に在来の如き自己資本の形態を以てしては、その企業目的を達し得ないので、資本を住友財閥に仰いだ。
かく両会社は外部から資本を導入し、量産方式によって生産を高めることとなったが、軍官民等外部の諸事情から、両会社は昭和13年11月に合併して、資本金400万円なる東洋通信機株式会社を設立し、新会社は両会社の業務一切を継承して発足するこことなった。
而して川崎工場に於いては陸軍通信兵器、搬送通信装置及び漁業用無線装置等を、芝工場に於いては海軍通信兵器を、又長原工場に於いては水晶発振子及び軍用送話器、受話器燈を製造することになったが、生産の主体は川崎工場であって、此処に建物を増築し、逐次芝工場から海軍兵器の生産部門を移し、遂に昭和15年夏には、海軍関係も亦川崎工場に集結された。
日本電気株式会社七十年史社史(昭和47年7月発行)からの抜粋
系列会社の確保
東洋無線電信電話株式会社からの抜粋
同社が漁業用小型無線機の製作によって、わが国の水産業界に無線施設を導入・普及させる上に大きく貢献したことと、水晶発振子の研究・開発をしたことは特筆すべきことである。
日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行からの抜粋
f東洋通信機株式会社
同社は、古くから陸海軍の無線に力を入れており、開戦時には、軍需工場として、全社をあげて、これの生産を行った。
Ⅰ開戦から終戦まで
ア開戦当時のおもな生産機種
陸軍関係では、94式3号甲、乙、丙、5号、6号の各無線機、94式4号乙、丙の車両無線機、94式飛2号、96式飛3号の航空無線機を、海軍関係では92式3号、4号の長波送信機、95式短4ご号、短5号の短波送信機、95式送話増幅器、97式特3号、特4号、特5号送信機、92式特受信機、97式短波受信機、92式電波鑑査機、同短波鑑査機、97式通信練習機などを製作していた。
イ試作および新製品
(1)陸軍関係
車両無線機甲、乙、丙の試作をし、航空機の行動範囲が戦局とともに広がるにつれて、飛3号の性能の向上を図って、次々と改良試作を行い、そのつど、名称は、99式、同2型、同改、4式と改められた。
電波兵器では、機上用の自動記録方式、等感度方向式および自動変換式の各電波探索機の試作を18年から始めた。
これらの機種は、試作時、雲1、雲2、雲3とよばれていた。
16年に5号無線機を改造して、自転車編成用無線機とし、19年にいわゆる決戦兵器〇け0装置の増幅器を急遽作った。
(2)海軍関係
開戦までに1式哉5号送信機、1式超短波受信機を、昭和18年に3式超短波送信機を作った。
特受信機は次々と改良されてきて17年に局部発振を推奨制御にし、セットの特質を活用して、可変中間周波増幅型にした。
同年N5短波受信機の試作を始めた。
空1号航空無線機の改良試作は、陸の飛3号と同じ主旨で、次々と行われた。
〇商では、3号送信機と短波及び長波用のオートダイン受信機を作った。
(3)軍需省関係
軍需省の機種は、菫1(空1号)、菫3(飛3号)、菫5(秋水用で空1号の受信機)、桑5(特受信機)、桑6(N5受信機)であった。
空1号と飛3号の受信管FM2A05AとUt6F7がソラに統一された。
 
参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行
日本電気株式会社七十年史社史 昭和47年7月発行
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