日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

沖電気工業株式会社

沖電気工業株式会社

沖電気100年のあゆみ(昭和56年11月発行)からの抜粋
第3章 昭和不況と戦時経済のなかで
生産拠点の増強
この大連工場でつくられた製品はすべて軍用品であった。
小瀬常務の島嶼の計画では、満州国で使う電話交換機と電話機が主であったが、実際に工場が動き出したときはその余裕が満州国自体になかった。
軍用品としては小形傍受用受信機、小形方向探知機の注文があった。
関東州上空の怪電波の横行が問題となり、その怪電波をキャッチし、発信源を見つけるのが軍の発注の趣旨であった。
どちらも、かってない小型・高性能のもので、使用の際は容器を開いてアンテナを立てる式の精巧な性能が、大いに関東軍を満足させた。
引続いて追加注文があり、昼夜兼行で増産した。
他方、国内の生産拠点の拡充では、まず昭和9年に地上5階、地下1階のD館が竣工し、芝浦全工場が完成している。
昭和3年の第一期からこの年の第三期工事によって、延べ2万4000平方メートルの大工場となり、田町工場の全部と、大崎工場の無線部門をここに移した。
昭和13年には芝高浜町に敷地3万平方メートルを購入、年内には第一期工事を完了、三期にわたる工場建設を急いだ結果、16年に高浜工場(のちの品川工場)が完成した。
新工場はもちろん鉄筋コンクリート、四階建であった。
生産品目は海軍の海と空の無線電信機、水測兵器をはじめ、弾丸、信管類も含まれた。
このうち航空機用の短波無線機は海軍技術研究所で研究され、沖電気にその実用化と製作が依頼されたもの。
92式特受信機と呼ばれ、性能のよさから海軍では航空用(誤りで実際は艦船用のこと)だけではなく、あらわる分野に使う汎用無線機となる。
沖電気はその総生産量の9割を担当した。
このころから海軍と陸軍の対立が早くも現れている。
たとえば沖電気が得意とした水測兵器は、高浜工場にそのための特製水槽をつくるなどして、いわば専門工場であるのに、後発の陸軍は海軍といっしょに研究・開発するのをきらい、沖電気高崎市の製糸工場を買収させ、陸軍のための水測兵器の生産に当てさせた。
主力工場の芝浦も高浜も、ともに陸海軍の管理工場だが、こうしていつしか芝浦工場は主として陸軍関係を、高浜工場は海軍関係をつくるという形になっていった。
陸海軍はたがいに、技術やノーハウを相手に知られることをきらい、秘密保持に努めたというから、間にはさまれた民間メーカーとしては余計な神経を使わされたに違いない。
沖電気の場合、陸軍と海軍とどちらの比重が高かったといえば、戦時中の生産高からいっても、また太平洋戦争末期に舞鶴海軍工廠長小沢仙吉を社長に迎えた点からみても、海軍のほうであったということができよう。
戦時経済と通信機生産
昭和15年以後になると自動交換機の仕事は急激に落ちる。
国も民間も交換機どころではなくなってきた。
また生産体制も軍事色が強まり、たとえ注文があっても、資材もなければ人員もない状態となった。
銅やニッケルは使用禁止、ゴム絶縁材料は合成樹脂に変えよ、木綿はスフに、といったぐあいである。
また技術のスタッフも無線、水測関係にとられ、あるいは大連工場に派遣されていった。
一方、交換機の機器を利用した軍関係の機器の需要がふえてきた。
主なものは情報装置、司令電話装置、方向探知機、暗号機などである。
たとえば情報装置というのは、東京一ツ橋の軍司令部に配置されたもので、全国から有線電話報告されてくる敵機侵入状況を逐一、壁面に張った日本列島大地図上の地点に小型ランプで表示する仕組みである。
大戦下の生産状況
19年5月、沖電気は軍需会社法に基づく軍需会社に指定された。
同法は、重要軍需企業を政府が協力に管理する法律で、経営権も人事権にも政府が介入できた。
沖電気はもはや「皇国第6551工場」と番号で呼ばれる兵器廠であり、沖電気ではなくなっていた。
その「皇国第6551工場」に生産責任者として専任の社長を置くよう、軍は強く要請してきた。
それまで沖電気は、株式会社となってから一度も社長制をとらなかった。
浅野総一郎は初代、二大とも会長であり、筆頭常務が実質的に統括してきた。
戦時中は押田三郎であったが、軍は財閥の党首が傘下各社の会長を兼任する形は好ましくないとした。
三井、三菱系企業にも同じ要請があった。
「皇国第6551工場」は、この要請に抵抗すべくもなかった。
ここに初めて社長制を採りいれ、初代社長に海軍中将・舞鶴海軍工廠長の小沢仙吉を迎えた。
戦局が急迫を告げるなか、労務管理者の苦労は大変なものがあった。
工場はふえる一方だし、これに学徒が動員されて働きにくるし、徴用者も相次いで入ってくる。
その宿舎から寝具や食料の手配などに明け暮れた。
町を歩いて、目ぼしい建物を見つけるととびこんで、従業員用宿舎にお願いするといった毎日がつづく。
一方で軍当局からの命令の伝達、申請、報告などがうるさく、これらは管理部門のスタッフが担当した。
営業部なども、名前が営利の目的とした印象を与えるとして業務部と改称したのも、笑えぬ喜劇であった。
20年になると本土空襲が本格化した。
従業員は明日をも知れぬ身で東奔西走しなければならなかった。
大塚工場がまず焼失し、つづいて芝浦工場C館が全焼、D館も半焼した。
幸い死傷者はなかった。
大阪、前橋、ぬまず、三緑亭跡の研究所、大森測定所も相次いで焼失した。
ひどかったのは少年工や女子挺身隊などを収容した寮の被災であった。
終戦直前、これらの宿舎は東京を中心に約100カ所もあった。
なかには名のある元料亭も少なくなかったが、その一部が3月10日の空襲にあい、約50人が明治座地下室に避難したのがかえって禍となり、全員が焼死するという痛ましい結末を生んだ。
工場疎開が命令され、山形から山梨にかけての山間で疎開工場、地下工場の建設にとりかかった。
だが、すべて徒労だった。
人びとは疲れ果て、軍が呼号する一億玉砕の声もうつろに聞こえた。
「内緒で短波のセットを作ってポツダム宣言を聞いた者は、無条件降伏の勧告を放送していることを、われわれにささやいていた。」
8月6日と9日、広島と長崎に落ちた原子爆弾は、一瞬にして数十万の犠牲者を出し、軍国ニッポンの息の根を止めた。
15日正午、沖電気の従業員は芝浦製造所D館屋上に集められ、終戦の放送を聞いた。

日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行からの抜粋
e沖電気工業株式会社
Ⅱ戦時中の無線機器生産の概要
昭和16年12月太平洋戦争に突入したが、同年初め高浜工場(のちの品川製造所)の増築が次々と完工し、海軍関係艦船および航空機搭載用無線機の量産を続け、戦争たけなわにいたって大塚・中原(以上東京地区)および福島工場が海軍無線、前橋および桐生工場が陸軍無線機器の生産にあたった(音響機器、その他工場を省略)。
この間、放送機は昭和18年末で生産不能となった半面、国際通信の途絶とともに民需を失った大型受信機の生産はそのまま軍需に振り向けられ、内外地において大いに活躍した。
戦争の末期、わが国の技術者はアメリカと同様レーダの開発に着手しながらその完成に遅れをとり、同社においてもパルス送信菅及び受信管の製造を終わり、機器の試作実験中に終戦を迎える状況であった。

陸軍関係
対空無線送受信機 地2号 昭和19年から20年
5号無線機 昭和16年から20年
卓上型全波受信機(略称RTT) 昭和14年から17年 200台
電波対地高度計(略称雲-32)昭和20年 270台
高速度電信受信機 昭和19年 5台 
航空機識別装置 昭和20年 5台       → 5試味方識別装置1型 M-13 IFF?
大型短波電信受信機(略称RKY)昭和14年から20年
1号無線送信機 昭和18年 30台
1号無線受信機 昭和18年 200台
電波誘導機(略称風-31)昭和20年 試作のみ    
電波標定機(タチ-27)昭和19年から20年 試作のみ
電波高度計(桜-4)昭和19年 試作のみ
海軍関係
92式特受信機(略称CTK受信機またはE金物)昭和6年から20年
97式短受信機(略称K金物)昭和18年から20年
航空無線送受信機 空1号無線機 昭和13年から20年
航空無線送受信機 空2号無線機 昭和13年から20年
航空無線送受信機 空3号無線機 昭和13年から20年
航空無線送受信機 空4号無線機 昭和13年から20年
航空無線送受信機 空5号無線機 昭和13年から20年

文中の無線機の型式と機器詳細について
小形傍受用受信機
小形方向探知機
航空機用の短波無線機
92式特受信機
情報装置
司令電話装置
方向探知機
暗号機

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参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行
沖電気100年のあゆみ(昭和56年11月発行)
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