日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況について

日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況について

第二海軍技術廠の敗戦時の技術資料調査表(GHQ報告資料)と日本無線史の資料を活用して、日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況を明らかにする。

第二海軍技術廠の敗戦時の技術資料調査表(GHQ報告資料)
1.研究項目
(イ)戦闘機用無線電話機(19試空1号無線電話機)
(ロ)機上電信用附加変調装置(試製5式変調器)
(ハ)機内通話機改造(18試機通話機の改良)
(ニ)短4号送信機中波改造
(ホ)短3号送信機改造
(ヘ)5式短4号送信機
2.研究経緯
通信兵器に関しては技術者の電波兵器研究方面に大幅転用に依り主として規制兵器の改善方面に力を注ぎ特別なる新兵器の研究は実施せず
3.成果概要
(イ)戦闘機用無線電話機
波長範囲3750kc乃至6000kc一挙動電波転換等を目的とし20年7月研究完成量産移行中なるも不幸にして十分なる量産を見ず今日に至る
2波長に付き一挙動電波転換方式
(ロ)機上電信用附加変調装置
中型機及小型機用電信機の電話化を目途とし20年7月研究完成量産移行中なり
(ハ)機内通話機改造
既成兵器の明瞭度を向上せるものにつき試作中なり
(ニ)短4号送信機中波改造
短4号送信機の周波数範囲を1750kc乃至18000kcに改造研究実験を終了数組の施策を完了せるも実用するに至らず 
(ホ)短3号送信機改造
送話増信機に依り電話可能なる如くせるものにして実施部隊装備送信機の改造を完了し実用中なり
(ヘ)5式短4号送信機
出力500W周波数範囲2500kc乃至10000kc陸上用を主とする標準型送信機の完成を目途とし試作中なり

日本無線史 第十巻よりの抜粋
太平洋戦争中の末期の第三段作戦後期 昭和19年11月から終戦時に至る
敵の反抗速度は俄かに急調となり、これを邀撃するために、各部隊間の通信は非常に重要であるので、当時最大の問題であった粗製乱造品の取締に向かって、全力を注がれた結果、製品も幾分改善することになった。しかるにB29の空襲は、一段と猛威を逞(たく)うし、各部品工場、真空管工場等が相次いで崩壊し、更に又工場疎開による生産力低下等のために兵器は実施部隊の需要を到底満足させることが出来なかった。
この時期に急速実用化を要望された試作実験兵器は第3.9表に示すものである。
 

その後、本土作戦を予期するに至り、全面的に特攻作戦を実施されるようになった。そこでこの特攻機用簡易通信兵器が必要となり、小型送受信機の試作実験に努力したが、決戦場に送るまでに至らなかった。
終戦時に於ける主な兵器の改造試作、生産管理の状況は概ね次の通りである。
(1)部品欠乏のため96式空2号無線電信機改2、96式空3号無線電信機改1及び2式空3号無線電信機改1の生産を停止
(2)還納品に対する中長波帯附加を目的とする96式空4号無線電信機改1及び同改2の改造
(3)19試空十号送信機の試作実験は実施困難なると実用価値に疑問あるため中止
(4)右記各兵器の代替として19試空3号無線電信機の量産促進
(5)3式空1号無線電話機の改良量産化を目的としとて、19試空1号無線電話機の試作
(6)特攻用送受信機の試作(小型、重量20瓩以内のもの)
(7)ロケット機秋水用受信機の試作実験
(8)隊内電話の能力向上対策として、20試空隊内無線電話機の試作実験


2つの資料から敗戦末期の日本海軍は本土決戦のための航空機用無線機の無線電話機の改良と特攻兵器用の無線機が主要な研究開発の目標になっていることがわかる。

(イ)戦闘機用無線電話機(19試空1号無線電話機)の解説
機能の最大の特徴は、2周波数(2チャンネル化)対応を管制器のスイッチのみで可能となるようにしたことにある。
本機は、自機と編隊内友軍機との通信ラインと自機と航空機基地(この敗戦末期では空母は想定できないので無線封止はないはず)間の通信ラインの2チャンネル化を目論んだものだ。
但し、本機の使用周波数3750kc乃至6000kcの中で任意の2チャンネルを選択することは技術的にできず、2チャンネル周波数の設定は近接周波数(例えば、10kcから30kcの近接周波数の2チャンネルのみ)での運用に限定される。
そういう意味では、簡易2チャンネル・水晶制御方式の送受信機である。
ただし、研究所が想定している2チャンネル化が、現場である戦闘機の実施部隊での無線通信運用と合致していたのかは疑問がある。
本来なら、米軍のように編隊の隊長機のみが2チャンネルの無線機を使用し、全体の空中戦を把握しながら、配下の編隊機への作戦を指示し、配下の編隊機は受信のみで戦闘に従事する。
一方、隊長機は別のチャンネルを使用して基地との必要な連絡通信を行うことが要件である。
何故疑問かというと、日本無線史の資料で、この敗戦末期にも関わらず20試空隊内無線電話機(2座、3座及び多座機)の新規開発を行うとしている。本機の使用周波数は30Mhzから50Mhz帯のVHFを使用することにより無線封止の中でも通信が可能な周波数帯を採用しているが、この敗戦末期の本土決戦では無線封止など何の意味もなく、通信連絡を確保することのみに注力すべき段階である。
そういう意味では多座用航空機に19試空1号無線電話機を搭載すれば、隊内通信の確保は何の支障もないのは、当時でも明らかなはずである。
しかしながら、そのような対応は残念ながら認められなし、単座の戦闘機に対する隊内電話無線機の運用概念も見当たらない。

19試空1号無線電話機 上が本体部、下が管制器(TTKらしきマークがあるので東洋通信機株式会社が製造) 
※2チャンネル用として送信、受信用の水晶ホルダーが2個づつ設置されている。
 


管制器のみ(TTKのマークがあるので東洋通信機株式会社が製造)
 


(ロ)機上電信用附加変調装置(試製5式変調器)の解説
日米開戦初期では、航空機の無線通信は電信員による電信(A1)が主体であり、戦闘機のパイロットにも電信による無線通信をおこなっていた。
しかしながら、日米開戦末期に至り、戦闘機用の3式空1号無線電話機の運用も進まず、しかも多座用航空機の熟練した電信員が確保できず、通信運用に問題が山積する事態となっていた。
このため、多座用無線電機機には、安定的な電話運用ができるよう機上電信用附加変調装置として変調機を新規に開発するこことした。
電話運用のため振幅変調方式には、大きく分けて以下のとおりである。
終段C級終段陽極変調
終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調
終段C級制御格子変調
終段C級制抑制子変調
フローティング・キャリア方式など

日本海軍航空機用無線機には、一般的に無線電信機といっても簡便な電話運用が可能となるよう終段C級制御格子変調もしくは終段C級制抑制子変調方式が採用されている。
しかし、この変調方式は、回路自体は簡便ではあるが変調度が浅く遠距離通信では明瞭度が大きく悪化する結果となる。
本格的な電話運用には、終段C級終段陽極変調もしくは終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調方式が絶対要件である。
戦後、日本のアマチュア無線で電話運用する送信機では、トリオのTX-88Aが有名であるが、勿論変調方式は、終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調方式をとっていた。
但し、日本海軍の戦闘機用の96式空1号無線電話機のみが終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調を採用していたが、コックピット内の空間の制約から送信機の筐体を大きく製作できず、わずか2球の送信管のみの構成となったため、その電話性能を生かすことができなかった。

(ハ)機内通話機改造の解説
本機、18試機内通話機(一般的にはインターコムのこと)は昭和20年製でしかも、軍需大手のメーカーも手一杯の状況のため民需ラジオメーカーの戸根無線(商標コンサートンでラジオを生産)が担当している。

 

参考資料1
3座などの航空機には、下図のような伝声管が大戦中も使用されている。
 


参考資料2
生産工場と品種(海軍のみ)
昭和19年以降に於ける機器製造会社、工場所在地並びに生産品種を列記すると左表のとおりである。
 



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参考文献
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011008900、技術資料調査表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011009000、研究実験の状況(防衛省防衛研究所)」
横浜旧軍無線通信資料館 HP、掲示板、FB
日本無線史10巻 1951年 電波管理委員会
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