日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

11-2 地上用無線機其の他

11-2 地上用無線機其の他
11-2-1 3式空5号無線電信機
3式空5号無線電信機は、基地専用の移動可能電信機で、入力900W、周波数範囲300乃至20000Kc、重量150Kg、通達能力は1500浬である。
本機の重要諸元は次の通りである。
用途   基地専用(移動可能電信機)
通信距離 1500浬
周波数  300乃至20000Kc
送信機  入力900W
小型送信機部
          OSC   PA
     真空管 FZ064A-FZ064A
             -FZ064A
             -FZ064A
電力増幅機部
          Buff   PA
     真空管 FB325A-FB325A
             -FB325A
             -FB325A
     電源  交直両用
受信機  方式 スーパー RF1 IF1 AF2
          RF    Conv    IF    Det     AF  
     真空管 FM2A05A-FM2A05A-FM2A05A-FM2A05A-FM2A05A×2
            OSC FM2A05A     BFO FM2A05A
     電源  交直両用
空中線  ロングワイヤーのみ
     地線 
整備数  
前身航空基地用無線機であって、航空機による輸送に適する如く構成されている。
送信機は、小形送信機と電力増幅機とに別れ、情況に応じ送信機部のみの単独使用も可能である。
送信機はFZ064Aを4箇使用し、2.5から5、5から10、10から20Mcの範囲で1波又は倍周波数関係にある2波、或は3波を同時に送信することができる。
出力は1波につき約10Wで、交直両用の電源を自蔵している。
電力増幅機はFB325Aを3個使用し、送信機出力の3波を各々別個に増幅するもので、出力は各1波に対してA1 150W、A3 40W(サプレッサーグリッド変調)である。
電源としては整流器を使用すれば3波同時送信が可能であるが、コンバーターを私有するときは1波のみとする。
受信機は2式空3号無線機と完全に動揺であって、周波数2.5から20Mc及び300から500Kc、真空管は全てFM2A05Aを使用している。
電源はコンバーターと共に、12Vセレン整流器を内蔵しているので、交直両用である。

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11-2-2 18試空8号無線機(P8)
落下傘部隊及び対空監視哨用として制定された無線機であり、所要に応じて落下傘による投下が可能である。
送信機は周波数2.5から10Mc、出力15W、真空管はFZ064Aを3本使用、500Vコンバーターをプレート電源として使用する。
受信機は1-V-1のオートダインで全てFM2A05Aを使用、250Vコンバーターを使用する。
11-2-3 19試空9号無線機(P9)
航空機不時着のとき使用するための無線機で、送信機のみから成り、発射周波数4528Kc、真空管は6V6 1個を使用、出力約3W、手廻発電機(340V、7V)により動作し、自動的に“フ”符号を発射する。
切換により自蔵の電鍵による送信も可能である。
11-2-4 19試空10號送信機
敵艦隊の位置に投下して、その方位を測定し誘導するための送信機で発射周波数950Kc、出力約30Wである。
 
参考情報
日本無線社史 55年の歩みからの抜粋
第3章 海軍電子機器 航空機用無線機
海軍造兵廠時代
この時代は業者が部品のみを納入していた頃であり、航空機用無線機も同様であった。
当社では、大正15年(1926)に筐体、部品を納入することから開始した。
この頃の代表的製品には、送信機は波長600~1500m、出力150W、受信機は再生検波、低周波2段増幅の15式無線電信機があった。
海軍技術研究所時代
漸く完成品の形で納入するようになった昭和4年、2座または3座機用として、長波の出力75W電話併用機89式空1号無線電信機を納入したのを始め、同出力の89式空2号無線電信機を受注、納入した。
受信機は、前者は高周波2段付5球式、後者は高周波1段付8球式であった。
両機種とも百数十台を納入し、7年に勃発した上海事変に於て、その性能を遺憾なく発揮した。
8年には長波の大型機で、送信機は出力150W、電話併用、受信機は高周波1段付7球式の93式空2号電信機を受注し、納入した。
翌9年には2座又は3座機用として送信出力75W、受信機は高周波2段5球式の長波電信機(電話併用)94式空1号無線電信機を、続いて短波を加え、送信機は水晶制御兼自励式で送信出力は短波75W、長波50W、受信機は高周波1段8球式の94式空2号無線電信機を夫々開発した。
又、11年には、戦闘機用の短波電話送受信機の試作を行ったがこの機種は遠隔制御方式を採用し、又、水晶制御発振と自励発振両用であり、切換によっても同じ周波数が発射されるよう、多くの新機軸が採りいれられた。
このように各種の機種の生産を行い、海軍の航空機用無線機に対する当社の基礎は次第に固まり、やがて通算1000台という納入実績をあげた。
海軍航空廠時代の無線機
昭和9年から12年の間に、海軍技術研究所の航空機用無線機に関する研究開発機関は、新発足した横須賀海軍航空廠に移管され、海軍の航空機用無線機の研究開発は一段と活発化した。
この事態に対応して当社でも開発部門の充実を図り、11年には2座機用で長波と短波を兼備した入力100Wの無線電信電話機の試作が行われ、当社は真さ合格した。
同機は96式空2号無線電信機として以後数千台を量産した。
又、3座機用長波短波兼備で、入力300W、受信機には全部金属管を用いた斬新な設計の1式空3号無線電信機、更には、これに中波帯を付加した2式空3号無線電信機を開発した。
これには当社が国産化したテレフンケン社型のFM2A05A万能菅が使用された。
これらの無線機の外に、13年に、多座機用で、航空機の編隊内の連絡、指令などに使用する98式空4号隊内無線電話機を完成した。
周波数は超短波帯を使用し、送信出力40W、受信機には凡て金属真空管を用いたもので、直ちに制式兵器に採用され、終戦に至る迄大量に納入した。
これに続いて完成したものに、送信出力10Wの1式空3号隊内無線電話機があり、同じく終戦迄生産が続けられた。
海軍航空廠時代の方位測定機
当社は早くから航空機用方位測定機の研究を続けていた。
昭和14年、先ずテレフンケン社製の航空機用帰投用方位測定機の国産化を図った。
特に苦心した点は、真空管、圧粉鉄心、スチロール、高周波ケーブルなどの新しい部品、材料の開発を先行しなければならないことであった。
研究には2年を要し、完成後直ちに制式兵器として採用され、零式無線帰投用方位測定機の名で終戦迄に約2000台が納入された。
この外、空中線にフェライトを用いた極めて小型のクルシー式帰投用方位測定機2種類の試作品も完成したが、何れも生産する迄には至らなかった。
 
 
参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第十巻 電波監理委員会
軍用無線機概説(資料編Ⅱ)石川俊彦著
日本無線社史 55年の歩み