日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

4-3-7 96式3号己無線機

4-3-7 96式3号己無線機
我が陸軍は上陸作戦を最重要視し、大正末期から逐次海運資材の機械化に努め、偵察艇、装甲艇、大発動艇、小発動艇の小舟艇も漸次整備せられるに至った。
偵察艇、装甲艇はその任務上これに無線を装備する必要があるので、昭和初頭海運資材として海運資材の研究、審査、調査、整備等の機関であった陸軍運輸部に於いて、約20機の安中式舶用無線機が整備されたのであった。
昭和5年(1930年)陸軍運輸部から一般無線兵器の真さ研究機関であった陸軍通信学校研究部に対して、右舶用無線機の機能充分ならず、研究援助方依頼があり、爾後通信学校研究部に於いて研究の結果、機能十分なる如く応急の改修を施し、二回に亘る上陸作戦演習に参加実用し、差し当たりの要求は辛うじて充足し得るが、なお十分なる機能のものを得るためには根本的に設計を改むる必要があることを認めた。
偵察艇は乗員僅か数名(通信員共)の小艇に230馬力のガソリン機関を艤装し、40ノットの速力を以て海上を馳駆するものであるからこの機関の電気系統を完全に電磁遮断しなければ無線通信は困難である。
又渡洋航海中は運送船上に搭載し、必要に応じ海上に泛水するに際しては、起重機を以て吊り上げて運送船舷側に移し(乗組員はこの際乗組んでいなければならない)運送船の航行間、機関を起動して海面上約2メートルむの高さより吊り落とすのである。
従って海面に達したときの激突は著しいものがあり、装備無線機の緩衝装置は特殊のものでなければ到底この衝撃には耐えられぬ。
昭和7年(1932年)度から新機種の研究を海運資材より切り離し、無線兵器として着手し、昭和8年(1933年)4月これが試験を宇品陸軍運輸部に於いて実施した。
まず偵察艇機関の電磁遮断を研究し、通信実施に支障ない程度にその発する雑音を抑制し得たが、勿論未だ完全の域には達しなかった。
次の通信試験に移りその予定の過半に達したとき、参謀本部より要求通信距離の訂正(延伸)があったので、本研究は一応徒労に終わった。
右試験後に新要求に基づき設計を新にし、更に偵察艇機関の電磁遮断に関する研究をも進め昭和11年(1936年)研究を完了した。
本機の重要諸元は次の通りである。
用途   高速艇用
通信距離 A1 100Km、A3 20Km 
周波数  1,500~5,700Kc(常用2,5~3.0  5,0~5.5Mc)
送信機  出力 A1 20W
          OSC  PA 
     真空管 UY89-UX865
              Mod ↑
             UZ79
     電源  12V蓄電池及び500V180mAコンバーター
受信機  方式 スーパー RF1 RF2 AF1
         RF Conv  IF  IF Det, AF  
     真空管 78-6A7-78-78-6B7-41
37↑
BFO
     電源  12V蓄電池及び250V70mAコンバーター
空中線  逆L型 H=3m、L=8m
     接地  艇体 
送信機

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受信機

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参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
大日本帝国陸海軍(軍装と装備)中田忠夫 昭和49年 サンケイ新聞社出版局