日本帝国陸海軍無線開発史

大西成美氏の「本邦軍用無線技術の概観」をベースに資料追加

4-3-13 96式7号無線機

4-3-13 96式7号無線機
昭和9年(1934年)度から研究に着手した。
輸送船団の航行中、各輸送船搭乗指揮官間の通信連絡は最も必要であって、しかも企図秘匿上極度の秘密性を要するのである。
従来無線は電波諜報の発達した今日使用すべくもなしと解され、他の通信手段が種々考えられた。
光電話等その一例である。
然るにこれは指向性が先鋭に過ぎ、好天と称するまでに至らない場合の各船の動揺に基く光束の振れによってさえ、通信不能に陥り、到底実用に供し得ないことが確認された。
そこで極超短波無線機が問題となり、本機の研究となったのである。
まずBK振動による周波数400Mc(波長75cm)附近の通信機を試作し、諸試験を行ったが、器材は梢々鈍重となり、取扱も亦容易でないので必ずしも極超短波に拘泥せず、反結合発振の最高周波数帯まで周波数を下げ構造の簡単、取扱の容易、製作の容易等幾多の利益を伴わせた方が実際的であると云う結論に達し、器材を試作して、諸試験を実施したところ、最も懸念していた指向性も見通し点以遠電波到達率も極超短波の場合と殆ど差異を認めなかった。
本機の重要諸元は次の通りである。
用途   輸送船団用
通信距離 8Km
周波数  250~300Mc
送信機  出力 A3 0.1w
          Osc
真空管 UN955
    Mod ↑
    Ut6F7
電源  6V5AH蓄電池 B18号乾電池×8(180V)
受信機  方式 超再生検波・低周波1段
     真空管 (送信機と共用)
          Det  AF
         IN955-Ut6F7
     電源 送信用と共用
空中線  放物線反射器付水平ダイポール
整備数  250
Yahooオークション出品商品にアンテナを架台をと送受信部を含む全体像が把握できる。
これを見ると、送受信用のダイポールと反射器はあるが、肝心の導波器の設置がなく、これでは八木・宇田アンテナとしての構成要素を構成していない。
ただし、複数段の導波器を設置すると可搬性のための強度や移動性のためには困難を生じる可能性がある。
基本的には軍部ではなく、メーカーの技術者の技術力の問題となるが意識的に導波器を回避したのか、八木・宇田アンテナ自体の知見がなかったのかどちらでしょうか。

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ウィキペディア 八木・宇田アンテナ
1924年に八木教授研究室で講師に就任した宇田新太郎が、多数の導体棒を配列して構成した短波長アンテナの放射指向性測定によって、「短波長ビーム」を発生させる配列方法を解明し、1926年にその研究成果を八木・宇田の連名の英文論文として発表した。
1929年には八木・宇田アンテナを使用したUHFの送受信機により、仙台-大鷹森(松島)間(約20km)での通信に成功。翌年にはベルギーで開催された万国博覧会に出品された

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参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
日本無線史 第九巻 電波監理委員会
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